西洋占星術 学習履歴
- 1993年04月~1995年10月.:*.。o○o。.*:._.:*.。o○o。.*:._.:*.。o○o。.*:. モダン占星術 Modern astrology
- *占星術の基礎学ぶ。その後、家庭の事情(子育て)から自宅学習。
- 2007年09月~2008年03月.:*.。o○o。.*:._.:*.。o○o。.*:._.:*.。o○o。. 伝統的占星術 Traditional astrology
- *伝統的(古典)占星術の大家の師匠に学ぶ。スクールの都合で自宅学習となる。
- 2008年08月~2015年.:*.。o○o。.*:._.:*. ホラリー占星術 Horary astrology・医療占星術 Medical astrology
- *様々に価値観の異なる講師の講座を受ける。
- *占星術は基本論理的で現実的な大自然がバックボーンとなります。正統派に属して論理的学習を求めると自分自身の中で消化不良となり、私独自の学習法の特徴でもあります、身体で会得し覚える内容でなかった様に回想しています。故に地道な学びの大切さを痛感させられた時間でした。
- 2010年09月~2015年.:*.。o○o。.*:._.:*.。o○o。.*:._.:*.。o○o。.*:. アロマテラピー Aromatherapy
- *不定期な講座学習。
- *ハーブから抽出したアロマテラピー(芳香療法)を学び、ハーブの特性、香りより占星術との関連性を見つける。楽しく学習出来た事からお料理のレパートリーが増えました。そして化粧品作りは、趣味となりました。
占星術師としての活動開始
2009年07月27日11:10 .:*.。o○o。.*:._.:*.。o○o。.*:._.:*.。o○o。.*:.
*鑑定開始
*web siteも初めて作成する
プロフィールに寄せて
(マニラヤシby宮古島)
生まれは沖縄県宮古島市です。
幼い頃の素養環境として天真爛漫な両親の元で育ちました。
父は、三味線を抱えて歌ったり踊ったりする宮古島特有なユッタリモードの「宮古島スタイル」の中で愛情を背中で注いでくれました。爽快なポップな沖縄独自の民謡が多かったと回想しています。
(※父おひつじ座、母いて座の夫婦故に天真爛漫な家庭)
しかし、私は仮死状態で生まれた事から魂が彷徨い死と隣り合わせの幼少期を送りました。
その事が起因して霊感の強い子として対応された環境でした。その様な体質と言うものは、強弱体質で理解不可能な世界があります。人の思いに反応します。見えるのでなく、感じるのです。
成長の過程において、自然発生的に学び始めた伝統的(古典)占星術を学ぶことに寄って、この感性に真摯に向き合い理解出来る様になりました。そして克服方としては、受け入れる事で自らに与えられた魂の成長と人格形成のツールとしての役割を担ってきた様に受け止めています。
つまり伝統的(古典)占星術は、様々な気付きのツールでもあるのです。あくまでも私の場合です。
これより、様々な方々のご参考情報の一翼として、これまでの体験として環境に反応しやすい気質の克服方を微力では、ありますがご紹介させて頂きます。本来ならば、伝統的(古典)占星術の知識を降り込たいところですが万人の心に染まりやすい納得しやすい工夫として神道の教えのお話をお知恵としてお借りしてご紹介させて頂きます。
神道についてはおぼろげな知識で詳しくありません。
只、経典も論理も存在しないと言われるところから「しなやかな精神」を感じ取り参考にさせて頂いています。それは、日本古来の八百万神(やおろずのかみ)と宮古島の御嶽(うたき)文化及び伝統的(古典)占星術に多少の親和性を感じているからなのです。
ここで誤解の無い様に申し上げておきます。私自身、常にご先祖様の存在が基本です。故に先祖オンリーな思考回路で宗教的には、何れにも属していません。
神道では「自然の利に従うと同時に自然の利に逆らうことである」と言われています。
その事についてご説明をさせて頂きます。
日々遍く私たちを照らし自然界の恩恵を随所に降り注ぐ「太陽神」として崇められた天照大神(あまてらすおおみかみ)略してアマテラス様の恩恵を受けた稲(米)のお話をさせて頂きます。
地球上の生きとし生けるもの全てアマテラス様の恩恵、つまり太陽の光を浴びて育つのです。
ここでは、理解しやすい現実的な視点から稲(米)に着目します。
稲(米)は、太陽の光を浴びて育ちます。しかし、同時に雑草も稲の周りに生い茂って育ちます。この場合、稲の健やかな成長を促すには、雑草を取り除かなくてはなりません。
けれど、この雑草を取り除く行為は、自然の恵み及び摂理に逆らう行為になるのです。
この相反する現象を日々の現実問題に置き換えますと様々な局面で様々な悩みが展開します。そして様々な問題提起の狭間の中でもがき苦しみ切磋琢磨しながら解決の糸口に辿り着き克服する流れの中で私たちの魂(心)は、研磨されて行くのです。
稲(米)のお話に戻します。
間違ってはいけないことがあります。
善と悪の二者択一のお話です。
稲(米)と同時に育った雑草(悪)を抜くのではなく、
稲(善)が育った過程で、妨げとなっていれば、取り除くのです。
つまり、「悪」に着目するのではなく「善」に着目する事を解いているのです。
それはどうしてでしょうか?
この「悪」に着目した時、環境に柔軟でたおやかな幼い私たちの魂(心)は、「悪」に反応して自然発生的に自我の押し付けが芽生えます。その流れの中で、幼さ故に思い通りにならなかった事が怒りに形成されてしまうからなのです。
さて、それでは「善」に着目するとどうなるのでしょうか?
「善」に着目すると、必然的に謙虚な姿勢が形成されて感謝の気持ちが自ずと身体の内面から湧いてきます。この感謝の気持ちが悟りに近い俯瞰的(ふかんてき)な思いを育み周りの人たちと融合、強いては、自然界と融合する知恵を与えられ受け止めるのです。
その為には、受け止める器が必要です。そして、素養を磨き自然界の声を聞く事ですね。
自らを愛し自らを信じ自らの可能性を感じる時間とても大切です。
宮古島に黄昏て
(クーラ湾by宮古島)
幼い頃を育んだ遊び場です。
こちらの写真では、潮が引いて穏やかなアーチ型の岩となっています。
ところがひとたび潮が満ちると、一変してこの岩は海の中です。
自然とは過酷なものです。
その様な現実を目の当たりにして身体で覚えて来たように回想しています。
そして、このコバルトブルー(テイファニーブルーとも呼ばれています)の海が当たり前な現実で永久に何時までも続くと思い描いていました。ある意味、その環境は、かなりキャパの狭い浮世離れした世界でした。
更に天球の星々は、両手を伸ばすと星々が掴める錯覚を覚える程に瞬いていました。
10歳満たない頃に観た南十字星は、眠気を冷ますほどに明るかったです。
母が指さして観せてくれました。そして教えてくれた事は
「あの星を観た人は、幸せになるよ」でした。
まるで、天国に一番近い島の太陽が沈むときにグリーンに発光するグリンーフラッシュの様ですね。
母は高等学問は、受けていませんでした。ところが、星々の事、日々の風の吹き方、雲の流れを観てお天気の予測等、いわゆる自然科学の事は、詳しかったのです。
今、思い出しながら、思う事ですが、宮古島と中国は遥か昔から独自ルートの貿易が盛んに行われていた故事があります。その様なところから古代中国の哲学、陰陽五行の知識を持っていたのかも知れません。12干支について、とても詳しかったですね。うたき文化に於いては、必須です。
12星座をものさしとする学問を学ぶ私は、もしかすると、母親の背中を追っているのかも知れませんね。
あとりえlablam運営責任者